こんにちは。一般社団法人ヤングケアラー協会理事の小田桐麻未です。前回の記事では、ヤングケアラーとは何か、その定義や私自身の経験について書きました。今回は、ヤングケアラーの実情/実状や抱える困難さ、及びそれが将来にどんな影響を及ぼすのかについてお伝えしていきます。
ヤングケアラーの課題は一律に捉えられない
メディアでは、ケアラーの体験談が語られることが増えてきましたね。例えば身体障害がある親の介護をつきっきりでして、自分の時間が取れず学校に行けない子供。もしくは精神疾患を持つ家族の分まで働き、家では家族のメンタルのケアに追われる若者などなど。具体的なケースが広く知られるようになってきたことは、社会としてとても良い流れだと感じます。
一方よく聞くのは「家庭ごとに課題が違いすぎて、整理ができない」「どう支援したり制度を作っていけば良いのかわからない」という支援者の声です。
課題が家庭ごとに千差万別になる原因として、変数が多すぎるということがあります。例えば以下のようなポイントです。
- 家族構成は?(人数が多くてケアの負担を分けられるか)
- 家族の中でどの人が要支援者?
- お金の余裕はどのくらいあるか?
- 兄弟と家族の仲はどのくらい良い?(仲の良さによってケア比重が偏りがち)
- ケアラーは何歳?(受けられる支援が変わったり、そもそもどの位本人が自覚的か変わる)
- 住んでいる地域はどこ?(自治体によって支援の状況が違う)
- 医療や福祉とつながっている?
これらの変数が複雑に組み合わさり、かつ変化していくことが、ケアラーの実情/実状や課題を一律に捉えられない理由です。
その上で、ケアラーの抱える課題を大きく分けると次の2点だと考えます。
ヤングケアラーの抱える課題1.ケアについて人に相談できない/しにくい
まず、家庭の内情を人に話すこと自体に少しためらいがありませんか?なんとなく「家のことはそう軽々しく人に話すべきではない」という価値観が存在すると感じます。ましてや家族のケアのこととなるとその感情は強まります。以下のように考えるためです。
「そもそも病気や障害を抱えていることを、当事者が人に知られたくないと思っている」
「介護は楽しい話題じゃないから、周りの人を暗い気持ちにさせるのでは」
「話しても周りの人たちは解決策なんて持っていないから、わざわざ話す理由がない」
要は、話すメリットがないと感じるのです。その結果家庭の中でのみ問題を抱え込んでしまうため、人や福祉の支援が介入できず、問題は肥大化していきます。
また若いケアラーからよく聞くのは
「私が『介護が辛い』と言ってしまうと、家族がまるで悪者のように思われてしまう気がする。家族だって悪くない。私が我慢すれば、家族が罪悪感を持たなくて済む」
という声です。かくいう私自身も、ヤングケアラーの頃に同じことを思っていました。人に弱音をこぼさなければ、なんとか自分がこの状況を乗り切ることができれば、みんなハッピーなはず。そんな想いを抱えて歯を食いしばっている子が少なくないのです。
ヤングケアラーの抱える課題2.キャリア(人生)の選択肢が持てない
二つ目は、キャリアについてです。ここでいうキャリアとは、進学や就職・結婚するか否かといった「人生」全般を指します。ヤングケアラー/若者ケアラーの抱える最も大きな課題の一つとして、キャリアにおける選択肢を持ちにくいという点があります。
ケアラーであるということはつまり、自分がいないと家族の日常が機能しない状況に陥っている(と感じている)ということです。
- 家事ができる人が家の中にいないのに、家事を放って勉強に専念できるでしょうか。
- 毎日の食事や排泄にサポートが必要な家族をおいて、フルタイムで働けるでしょうか。
- 日々不安に悩み、泣いては暴れる家族をよそに、家を出て好きな土地で就職できるでしょうか。
- 常に家族のケアをしながら勉強/仕事に励む日々の中で、誰かと恋愛をして結婚をする気持ちの余裕は持てるでしょうか。
……100%できないとは言えませんが、かなり難しいことは想像いただけるかと思います。結果、およそ一般的な人が持つ選択肢が人生から消えていき、家族を抜きにしたいち個人として望むキャリアを形成することが困難になります。その先に自身がメンタルを病んでしまうケースも多々見てきています。
またこれは、多くの個人の力を発揮しきれないという意味で、社会にとって大きな損失に繋がると言えるでしょう。
なぜそこまでするのか?
ここまでお読みいただいた方の中には「なぜそこまで我慢するのか」「自己を犠牲にしすぎなのでは」と感じる方もいるのではないでしょうか。その背景については、次回お伝えしていきます。
また、ケアラー向けには現状どんな支援があるのか、ケアを経て得るもの/能力があるといういわばポジティブな点についても触れていけたらと思います。