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運動会のあり方についての様々な意見
以前ブログにこんなコメントを頂いたことがあります。(※「」内コメントは、ぜんち共済にて一部を編集して掲載)
「運動会。障害のある子、みんなと同じを貫き過ぎた結果、リレーで問題が起こりました。 その子は走りが得意ではありませんでした。でも、第一走者として、みんなと同じ距離を走ったのです。
遅い子と一緒に走らせたようですが、それでもとんでもない差になり、そのチームは惨敗。 他のチームが次々とゴールしている中、バトンを受け取ったアンカーは大号泣しながら走り力無くゴール。哀れみと悲しみに包まれ、泣く保護もチラホラ。とても後味の悪い結果でした。
後で子どもに聞くと、そのチームのグループの子どもたちは、どうせ負けるから〜と最初から話していたそうです。 教師たちは練習時に気が付かなかったのかと、怒りを覚えました。 」
またある人はこんなコメントを。
「運動が苦手な健常児であっても、その健常児が原因でリレーに大敗した場合は、同じように周りは思うのでしょうか。どこかに自閉症児だからという気持ちが垣間見えてしまって、悲しい気持ちになりました。※」(※筆者注:単に運動の苦手な健常児に対しては、気合を入れてほしい、努力してほしいと思うところを、自閉症児だからしょうがない、どうせできない、という周囲の気持ちが伝わってきて、どうしようもなく悲しくなってしまった。と私は読み取りました。)
またこんなコメントも。
「障がいを持った子供に対する批判ではなくて、学校側の配慮が足りなかったと思うのです。 足が遅いとか、そんなレベルじゃなくて……。リレーの一走者目で、一周の差がついたのです。加配の先生が並走するでもなく、完全に独走で、練習からずっとそんな状態だったらしいです。
アンカーの子にしても6年最後のリレーで、最終種目。そのアンカーに選ばれるのは、とっても名誉なこと。嬉しかったと思いますよ。
それが、前後に誰もいない状態でバトンをもらい、一人で走る。泣きながら走る姿を見たら、これは酷いよね……、と保護者席がざわつきました。 走る距離を半分にする、もしくは一人減らす、などどうしてできなかったのか? これでは、お互いに傷つけあうだけで、なんの得もない。
健常者と障害者がお互いに幸せになれる、差別ではない『区別』。 それは大切だと思います。」
色んな意見がありますね。
やっぱり思う。みんなと同じように参加させること「だけ」が正解なの?
私も以前、息子の運動会で似たような経験をしたことがあります。
支援級の子も通常級の子に混ざってリレーに参加したのですが、リレーで息子が入ったグループは当然のように負けました。競技が始まる前から「立石君がいるから、俺たちのグループは負けるな」と通常級の子ども達が呟いていました。
入場門の近くにいた私は「ごめんね。うちの子が入ってしまって」と謝りました。すると「いえ、そんなことないっす」とばつが悪そうな顔をして言ってきました。
いい大人の私が幼い小学生に却って気を使わせた結果になりました。定型発達の子はここまで言えるんだと思いました。そして、そう言われて余計に嫌な気持ちになってしまいました。
みんなを同じように参加させること「だけ」が良いことだとは私は思わないのですが、皆さんはどうお感じになりますか?